福知山線脱線事故(運転士の様子)

 「誰も語りたがらない 鉄道の裏面史」

佐藤 充 5年ぶりの書き下ろし!
107 名の死者を出した「福知山線脱線事故」、政治家の思惑がからみあう「新幹線の利権」、鉄道が買われる「阪神電鉄村上ファンド買収事件」、東京を襲った未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」、首都圏で起こった乗客の暴動「上尾事件」、初代国鉄総裁の謎の死「下山事件」……
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福知山線脱線事故(運転士の様子)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」


平成17年4月25日、暖かい春の日の月曜日のことである。

第5418M列車、同志社前行き上り快速列車は、始発の宝塚駅を9時04分に発車した。
車両は207系の7両編成。これが、福知山線脱線事故の車両である。

この列車はその14分後、制限速度70km/hの右曲線を約117km/hで進入し、左側へ転倒するように脱線。この事故で、106名の乗客と運転士の合計107名の命が失われた。


鉄道のことを書き続けてきた私には、この事故を調べる責務があるかもしれない。
事故から5年目を迎え、私は、航空・鉄道事故調査委員会がまとめた鉄道事故調査報告書を、読み込んでみる気になった。


まず、死亡した運転士である。

この電車を運転していたのは、23歳の若い男性運転士だった。

家族構成は4人兄弟の三番目で、まだ独身。親兄弟と同居していたようである。
いまどき珍しく、兄弟が多いのが特徴だ。
家族の証言では、「兄弟の中では、一番明るい子で、陽気な方だった」と語られている。

体型は身長168.6cm、体重77.8cmとやや太り気味である。しかし趣味はスノーボードで、会社の部活にも、スキー、テニス、バトミントン等に複数入っており、体を動かすのが好きな若者だったらしい。
また、高校生のときにアルバイトで知り合った彼女もいたようだ。

お金に困ったり、落ち込んだり悩んでいたりすることもなく、お酒を飲んでも節度をもっていたという。

スポーツが好きで、長く付き合っている彼女もいる。健全な若者の姿が目に浮かぶ。
家族はもちろんのこと、この彼女にしても、彼がこの大惨事の当事者になろうとは、まったく想像もしなかっただろう。
この事故がなければ、今ごろ結婚し、新しい家庭が生まれていたかもしれない。

身内にとっては、身が引き裂かれるような悲しみだったに違いない。しかし一方で、事故を起こした側の遺族として、身を隠すように過ごしただろう。

事故直前の彼の生活も見てみよう。

事故の日である4月25日(月)は、2日連続勤務の2日目だった。
この勤務の前の23日(土)は、明けの日で、午後から同僚と過ごし、バトミントンやゲームをやって、天王寺で飲食して解散している。
仲の良い同僚だったに違いない。

その後、自宅に戻ってからは弟とゲームをして就寝している。
事故前日の24日(日)は、13時05分が出勤点呼の時間だが、9時ごろに起床し、10時半ごろに家を出て、かなり早めに出勤している。
ちなみに、鉄道マンにとって遅刻は厳禁であり、出勤時間にかなり余裕を見るのは普通である。彼のこの出勤も、異常ではない。

彼の生活には乱れた様子はない。
私が唯一驚いたことといえば、事故前日、列車運転中でないときだが、42回のメール送信記録があったことである。
乗務員詰所や休憩室等では、私物の携帯電話の使用も認められていたらしいので、その範囲内でやっていたのだろう。四六時中、携帯をいじっている若者だったはずである。

彼の職歴を振り返る。
彼がJR西日本に入社したのは、事故から5年前の平成12年だった。
最初の配属先である長尾駅で1年半働いた後、天王寺車掌区で3年弱車掌を務め、運転士になったのは事故から1年前の平成16年である。
高卒社員として、普通のキャリアパスを歩んでいる。

これまで懲罰は、4回の訓告等を受けている。
その中で一番大きいのが、片町線下狛駅での停止位置100m行き過ぎで、これにより13日間の「日勤教育」を受けた。
しかし、調査報告書では、懲罰の件数も「著しく多くはなかった」とし、「当委員会が調査した限りでは、本件運転士の運転適性及び運転技術について、本事故の要因となるような異常はなかった。」と結論づけている。

どこにでもいそうな若い運転士。
そんな彼が、40km/h以上の速度オーバーでカーブに進入し、電車を脱線させてしまい、106名の命を奪ってしまった。
彼自身も、腹腔内出血、つまり腹に強い衝撃を受けて、すぐに亡くなった。

あまりにも、やりきれない。

次回以降、さらに掘り下げる。

「福知山線脱線事故(事故の日)」に続く

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


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posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 23:25 | Comment(6) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も今年4月より同業他社に入社しました。
いずれは運転士になる私にとって他人事ではない話です。

個人的な意見として、運転士には多少なり責任はあると思いますが、会社の体質、また鉄道業界の悪い部分が大部分だと思います。

また、お邪魔させていただきます。
Posted by 世間知らず at 2010年04月25日 18:52
コメントありがとうございます。

事故からちょうど5年です。
ニュースも、すでに事故そのものを取り上げることはなくなりました。
しかし、どうしても私は取り上げざるを得ません。

2年がかりで書かれた鉄道事故調査報告書。これから事故を改めて
見つめます。

2日続けて記事を投稿しました。やれる限り頑張りますので、
どうか読み続けてください。
Posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 2010年04月25日 22:48
Posted by 弘子 at 2015年04月20日 19:39
あれから5年。大きな事故だっただけに、昨日の様です。偶然の事故に遭い、命を落とされた被害者の冥福を新ためてお祈り致します。これ迄ずっと気にしておりました亡くなられた運転士のお名前を知り、此処に遅まきながらご冥福を御祈り致します。運転士のご家族のご心痛をお察し致します。前途洋々だった隆三郎さん、安らかにと遠い沖縄の地からご冥福を御祈り致します。
Posted by kajika-miya at 2015年04月25日 16:53
207系でも番台区分によって動力システムが異なっている、敢えて非難を受けようならば同じ車種でも特性は違うことは有り得る。
自動車だってエンジン製造工場で差は微妙にあるはずです。
事実はそれもどのメーカーの車種で排気量から知っていますが、ここでは鉄道のカテゴリーなので言いません。
多分エンジン形式言っても判らないから、ムダなことしたくない訳。
さて本題に戻りますが、上司から突然の命令を受ければ考えますよね?
即ち考えてしまう時間が、どうしても現業・事務でもあります、それがタイムラグとなるのは安全の確保であって思い込みを防ぐためです。
あまり、強行なペナルティーは事故の温床ともなり危険と当方は考えました、ベテランでもあの編成組成では制動タイミングが困難で、当該列車は速達の中でも一番を求められる運用であった。
対民鉄争いが、かなり厳しいことが読み取れた。
Posted by ちゃま at 2016年07月25日 11:21
207系と言えども基本番台とそれ以外では、メカニカル点て違うわけ、同じ電動機でも古い話になるが抵抗値と限流値が違えばギクシャクしちゃう。
当然制動装置回生制動連動だから、影響は根絶は不可能だと考える。
当該列車は最も速達のランカーブであったと文献では判明している。
阪急宝塚線との競合を垣間見れた瞬間である、ここで阪急の凄い所は動じなく安全輸送に頑固に徹したところです。
結果、阪急安全でクオリティー高いしってことになる。
Posted by うりたま at 2016年07月25日 12:55
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