信楽高原鐡道事故(従ってはいけない命令)

 「誰も語りたがらない 鉄道の裏面史」

佐藤 充 5年ぶりの書き下ろし!
107 名の死者を出した「福知山線脱線事故」、政治家の思惑がからみあう「新幹線の利権」、鉄道が買われる「阪神電鉄村上ファンド買収事件」、東京を襲った未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」、首都圏で起こった乗客の暴動「上尾事件」、初代国鉄総裁の謎の死「下山事件」……
2015年5月15日発売
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信楽高原鐡道事故(従ってはいけない命令)

前回までのあらすじ)
信楽高原鐡道事故には予兆があった。事故の9日前、信楽駅の出発信号機が青にならなくなり、列車が出発できなくなったのだ。事故とまったく同じ時間、同じ状況である。
このときの運行主任・信楽駅長は経験の浅いK。彼は上司である業務課長から、赤信号でも列車を出発させろ、と指示を受ける。
上司とは言っても業務課長の指示は越権で、それ以前に代用閉そくをしないで赤信号で列車を出発させることは、人命軽視の行為だった。


Kと業務課長は、信楽駅のホームで向かいあっていた。幅の狭い田舎駅のホームである。

「小野谷に人を送らなあかん。」

運行主任になったばかりのKだが、小野谷信号場に人を送って、代用閉そくの処置が必要なのは理解している。
業務課長のきつい指示にも、彼は運行主任として抵抗した。

しかし、Kの進言に業務課長は逆上して、すごい剣幕で怒鳴りつけた。

「そんな人いらんやないか!誰が小野谷に行くのか!」

すし詰めの列車が、駅もないところで足止めになれば、乗客は耐えられないだろう。駅で列車を待っている人たちも、世界陶芸祭に行けなくなって激怒するに違いない。

業務課長は、何よりも混乱を回避するのが鉄道マンの職責だと感じた。安全への意識は薄い。

また業務課長には、事故が起きないという自信もあった。赤信号で列車を出すと、誤出発防止装置が働いて小野寺信号場の下り出発信号機が赤になる。
つまり、信楽に向かってくる下り列車は、

(小野谷信号場で止めれられるはず、途中で列車が正面衝突することはない)

と信じていたのだ。
もちろん、誤出発防止装置をあてにして、赤信号で列車を出すのことは許されるものではない。

小野谷信号場の下り出発信号機(跡) 小野谷信号場の下り出発信号機(跡)

Kは、業務課長の命令に抵抗したものの、結局は逆らうことができず、言われるがままに手旗で出発合図を出した。上り列車は、Kの出発合図に従って、赤信号で出発したのである。

業務課長はこの列車に同乗して出発したが、Kは信楽駅に残された。そして、業務課長がいなくなってから、自分がやってしまったことの大きさに激しく動揺した。

「赤で列車を出してしもた。小野谷に人をやらずに出した。えらいことをした。」

同僚に泣きつくが、その同僚も客の対応に忙しい。

動揺がおさまらないKは、一度は自動車で小野谷に向かうが、やはり信楽駅に留まるべきだと思い直し、途中で引き返す。
もはや事故が起きないことを祈るのみである。

乗客の命を預かる鉄道マンとして、絶対にやってはいけないことをやってしまった。
Kはそれを良くわかっていた。だからこそ、これだけ動揺したのだ。

Kを批判することはたやすいが、これは我々にも問われる。
全国の鉄道マンたちは、Kと同じ状況に置かれたときに、上司の命令に逆らえるだろうか。

この日、SKRの運行主任・信楽駅長だったKの場合は、それができなかった。
Kだけではない。列車を出発させた運転士も、「指導者」の役割で列車に同乗した運転士も、誰もが拒否しなかったのである。
(むしろ、業務課長に同調したほどだ。)

幸い、この日は事故は起きなかった。
業務課長が目論んだとおり、誤出発防止装置が働き、小野谷信号場の出発信号機が赤となって、信楽に向かう下り列車が止まってくれたのである。


事故を免れたSKRだが、信号故障の原因も判明させられず、9日後の大事故を引き起こしてしまう。
また、この下り列車の乗務員はJR西日本の社員だったが、SKRの危険な運行を目の当たりにしつつも、JR西日本でそれが周知されることはなかった。

(続く)



信楽高原鐡道事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

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posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 11:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 信楽高原鐵道事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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