運転室での悶絶(1)

 「誰も語りたがらない 鉄道の裏面史」

佐藤 充 5年ぶりの書き下ろし!
107 名の死者を出した「福知山線脱線事故」、政治家の思惑がからみあう「新幹線の利権」、鉄道が買われる「阪神電鉄村上ファンド買収事件」、東京を襲った未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」、首都圏で起こった乗客の暴動「上尾事件」、初代国鉄総裁の謎の死「下山事件」……
2015年5月15日発売
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運転室での悶絶(1)

乗務員にとって辛いこと。
安全を担う仕事なので、ミスが業務上過失○○罪などの刑事罰につながりかねない…。
と、今回はそんなまじめな話ではない。

乗務員にとって辛いことは、乗務中にトイレに行けないことである。
(特急列車の車掌なら別だが)
本人にとっては深刻だが、不謹慎ながらこの手の話は面白い。

その日、御手洗(みたらい)さん(仮名)は、いつものように中距離の普通電車に乗務していた。
季節は梅雨前のさわやかな春。やわらかい日差しが運転室を満たし、鉄板に囲まれた薄緑の狭い空間も、建物の中のオフィスより快適に思えるぐらいだった。

この路線は、終点が近くなると車窓から山の連なりが見られ、木々の変化が無聊の慰めとなる。
ラッシュ時間でもなく、乗客や列車本数も多くない昼下がり。落ち着いた気分の御手洗さんは、ぼんやりと非番の日の予定を考えていた。

(またハイキングにでも行くか)

変化が乏しい仕事の御手洗さんにとって、季節を感じられるハイキングはささやかな楽しみであった。
みずみずしい青葉を愛でながら山を歩けば、爽快な気分になるに違いない。
それに、ハイキングを励みにハンドルを握れば、見慣れた(見飽きた)風景も楽しくなるというものだ。

さて、もう少しで終点、折り返し。もう一度上って、次に下りを"持っていく"ときには、帰宅する人たちで込み合う時間だ。だが、まだまだ気持ちに余裕はあった。

ズン!

そんな平和な勤務は、何の前触れもなく地獄になった。
地獄と言っても事故ではない。自分の腹が急変。突然便意が襲ってきたのだ。

(うっ。大便だ…。ちゃんと済ませてきたはずなのに。)

御手洗さんは特にお腹が弱い性質でもない。それでもベテランなので、乗務前にトイレに行くのはしっかり習慣になっている。この日もその点は抜かりなく、前の晩に深酒したわけでもない。

(次にトイレにいけるのは、終点の折り返し7分か。)

運転台に置いた行路表を見るまでもなかったが、一応確認してみた。しかし、縦長の行路表には、見落としていた希望などない。終点以外にチャンスはなかった。
単線ローカルであれば、列車の行き違いの数分間でダッシュするという手もあるが、ここから終点まではそんな運転時間の余裕はないのだ。スピードを上げて運転しても、結局終点までトイレに行けるところはない。
また、終点が近いこの辺になると、代わりの乗務員の手配も無理だった。
列車を遅らせずに途中でトイレに駆け込む手段はない。

(うーん、でも便意の周期はまだ長いし、大丈夫だろう。)

便意の周期から、我慢の限界は想像できる。終点まではまだ時間がかかるが、耐えられるだろうとこのときは思った。
体調が悪いときには、指令に連絡してトイレに行ったり、代務を頼んだりしても良いのだが、自分の大便で列車を遅らせるのはやはり気後れする。
また、後で嫌な助役に
「前の晩は飲んだのか?」
などと、痛くもない腹を探られるのも癪だった。終点までこの腹を持たせるのがベストである。
指令に通じる無線機に目をやったが、すぐに視線を戻した。晴天の下、今日は普段以上に信号機がはっきり見える。

                               つづく





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posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 23:19 | Comment(2) | TrackBack(0) | 就職の現場(運転士・駅) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鉄道会社の運転士だけでなく、新車の公式試運転では鉄道車両メーカーの社員も添乗し、特急型電車であってもトイレ使用禁止となります。私が以前勤務していたメーカーもお客様の指示で添乗があったのですが、私自身試運転中に尿意を催してしまい、電車の折り返し地点の駅に着くまで、苦しい思いをしたことがありました。それがトラウマになってしまい、健康状態が悪化してしまい退職しました。もうあの業界には、戻る気は無いですね。
Posted by はるか at 2011年12月13日 21:39
トイレの話、我が身に起きると本当にキツイですよね。
笑い事ではないですよね。
Posted by 佐藤充(管理人) at 2011年12月14日 22:29
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