福知山線脱線事故

 「誰も語りたがらない 鉄道の裏面史」

佐藤 充 5年ぶりの書き下ろし!
107 名の死者を出した「福知山線脱線事故」、政治家の思惑がからみあう「新幹線の利権」、鉄道が買われる「阪神電鉄村上ファンド買収事件」、東京を襲った未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」、首都圏で起こった乗客の暴動「上尾事件」、初代国鉄総裁の謎の死「下山事件」……
2015年5月15日発売

福知山線脱線事故(運転士の様子)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」


平成17年4月25日、暖かい春の日の月曜日のことである。

第5418M列車、同志社前行き上り快速列車は、始発の宝塚駅を9時04分に発車した。
車両は207系の7両編成。これが、福知山線脱線事故の車両である。

この列車はその14分後、制限速度70km/hの右曲線を約117km/hで進入し、左側へ転倒するように脱線。この事故で、106名の乗客と運転士の合計107名の命が失われた。


鉄道のことを書き続けてきた私には、この事故を調べる責務があるかもしれない。
事故から5年目を迎え、私は、航空・鉄道事故調査委員会がまとめた鉄道事故調査報告書を、読み込んでみる気になった。


まず、死亡した運転士である。

この電車を運転していたのは、23歳の若い男性運転士だった。

家族構成は4人兄弟の三番目で、まだ独身。親兄弟と同居していたようである。
いまどき珍しく、兄弟が多いのが特徴だ。
家族の証言では、「兄弟の中では、一番明るい子で、陽気な方だった」と語られている。

体型は身長168.6cm、体重77.8cmとやや太り気味である。しかし趣味はスノーボードで、会社の部活にも、スキー、テニス、バトミントン等に複数入っており、体を動かすのが好きな若者だったらしい。
また、高校生のときにアルバイトで知り合った彼女もいたようだ。

お金に困ったり、落ち込んだり悩んでいたりすることもなく、お酒を飲んでも節度をもっていたという。

スポーツが好きで、長く付き合っている彼女もいる。健全な若者の姿が目に浮かぶ。
家族はもちろんのこと、この彼女にしても、彼がこの大惨事の当事者になろうとは、まったく想像もしなかっただろう。
この事故がなければ、今ごろ結婚し、新しい家庭が生まれていたかもしれない。

身内にとっては、身が引き裂かれるような悲しみだったに違いない。しかし一方で、事故を起こした側の遺族として、身を隠すように過ごしただろう。

事故直前の彼の生活も見てみよう。

事故の日である4月25日(月)は、2日連続勤務の2日目だった。
この勤務の前の23日(土)は、明けの日で、午後から同僚と過ごし、バトミントンやゲームをやって、天王寺で飲食して解散している。
仲の良い同僚だったに違いない。

その後、自宅に戻ってからは弟とゲームをして就寝している。
事故前日の24日(日)は、13時05分が出勤点呼の時間だが、9時ごろに起床し、10時半ごろに家を出て、かなり早めに出勤している。
ちなみに、鉄道マンにとって遅刻は厳禁であり、出勤時間にかなり余裕を見るのは普通である。彼のこの出勤も、異常ではない。

彼の生活には乱れた様子はない。
私が唯一驚いたことといえば、事故前日、列車運転中でないときだが、42回のメール送信記録があったことである。
乗務員詰所や休憩室等では、私物の携帯電話の使用も認められていたらしいので、その範囲内でやっていたのだろう。四六時中、携帯をいじっている若者だったはずである。

彼の職歴を振り返る。
彼がJR西日本に入社したのは、事故から5年前の平成12年だった。
最初の配属先である長尾駅で1年半働いた後、天王寺車掌区で3年弱車掌を務め、運転士になったのは事故から1年前の平成16年である。
高卒社員として、普通のキャリアパスを歩んでいる。

これまで懲罰は、4回の訓告等を受けている。
その中で一番大きいのが、片町線下狛駅での停止位置100m行き過ぎで、これにより13日間の「日勤教育」を受けた。
しかし、調査報告書では、懲罰の件数も「著しく多くはなかった」とし、「当委員会が調査した限りでは、本件運転士の運転適性及び運転技術について、本事故の要因となるような異常はなかった。」と結論づけている。

どこにでもいそうな若い運転士。
そんな彼が、40km/h以上の速度オーバーでカーブに進入し、電車を脱線させてしまい、106名の命を奪ってしまった。
彼自身も、腹腔内出血、つまり腹に強い衝撃を受けて、すぐに亡くなった。

あまりにも、やりきれない。

次回以降、さらに掘り下げる。

「福知山線脱線事故(事故の日)」に続く

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 23:25 | Comment(6) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(事故の日)


カテゴリ:「福知山線脱線事故」


福知山線脱線事故(運転士の様子)
から続く

航空・鉄道事故調査委員会は、この23歳の若い運転士について、「運転適性及び運転技術について、本事故の要因となるような異常はなかった」と結論づけている。

それでは、事故の日である平成17年4月25日、この運転士に何が起こったのだろうか。


彼の事故の日の勤務は、京橋電車区「休75行路」の2日目であり、前夜宿泊したのは、森ノ宮電車区放出(はなてん)派出所である。

この派出所で1日目の到着点呼を受けた後、23時14分に勤務終了となっている。

ここで23時20分頃、彼が「休憩所のような場所」でジュースを飲んでいるところ、別の運転士と合い、言葉を交わしている。このときの様子にも異常はなかったという。

翌日の事故の日、6時08分に発点呼を受ける。このときも異常は見られない。

点呼後、回218Sとして、大阪の放出(はなてん)駅から京都の松井山手駅まで、片町線を回送電車で下っている。
定刻に出発し、定刻に到着。まったく異常はない。

松井山手駅に到着した9分後、彼は同じ車両で5769Mとして折り返している。
このときも、出発はほぼ定刻の7時35分である。

ここからは、朝ラッシュの上りなので、この列車も徐々に遅れていく。
途中の放出駅では1分20秒遅れ、京橋駅には1分余り遅れて到着する。
8時05分50秒ごろである。

この列車はそのまま列車番号を4469Mと下り列車に変えて、尼崎駅まで走り、さらにそのまま回送の回4469Mとなって、宝塚駅に向かう。
尼崎駅は計画上の停車時間が4分30秒あったため、ラッシュの遅れもここで回復し、定刻発車している。

そして、この宝塚駅到着時に、最初の出来事が発生する。

宝塚駅の手前で、信号により11km/hまで速度を落とした列車は、信号が変わって力行(加速)して進入したが、ATS(自動列車停止装置)により非常ブレーキがかかってしまい、ホームの端にかかったところで停止してしまう。

ATSは、この列車が速度制限を超えそうだったため、運転士に「確認要求」の信号を送り、運転士が「確認扱い」をしなかったために非常ブレーキを作動させている。

このとき運転士は、制限速度を40km/hの曲線分岐器を約65km/hで入ってしまった。車両も大きく動揺しただろう。
速度オーバーの理由は、以下のとおりである。
この列車は2番線の到着だが、もしも1番線で信号が「進行現示」であれば、制限速度が65km/hであり、勘違いしたと推定される。

宝塚駅構内の路線図

ATSの「確認要求」は、「確認扱い」を行えば非常ブレーキはかからない。
しかし、実際には非常ブレーキがかかっている。
速度オーバーで、車両だけでなく、彼自身が精神的に動揺し、「確認扱い」ができなかったことが伺えるのである。
(この分析は、航空・鉄道事故調査委員会によるものだが、私自身も想像できる。)

福知山線脱線事故は、この運転士の精神的な動揺が大きな要因になってくる。
これ以降、彼の精神状態に注目しなければならない。

宝塚駅には、定刻より約44秒遅れて、8時56分14秒頃に到着。この駅で、車両とともに運転士、車掌も折り返す。

ホームでこの運転士とすれ違った車掌は、彼に対して非常ブレーキ作動について聞くと、「「ムスッ」としたような感じで、立ち止まらないまま何も言わずに行った」という。
ちなみに、この車掌は42歳で、年齢的には大先輩である。
それだけ精神的に動揺していたのか、そもそも不遜な態度をとる若者だったのか、良くわからない。

折り返し電車は、5418Mの上り快速列車の同志社前行き。事故を起こす列車である。

「福知山線脱線事故(運転士の不安)」に続く

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 22:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(運転士の不安)


カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(事故の日)」から続く

福知山線脱線事故の運転士について書いてきた。
23歳でやや太り気味。4人兄弟の3番目で、彼女はいるが独身。

「福知山線脱線事故(運転士の様子)」

事故当日。彼は、片町線を回送電車で下り、松井山手駅で折り返し、尼崎駅まで営業運転をした後、そのまま宝塚駅まで回送運転した。
宝塚駅では、勘違いのためか速度オーバーで駅に進入し、これに動揺したのか、ATS(自動列車停止装置)の「確認扱い」を行わず、ATSの非常ブレーキで途中停止する。
その後、宝塚駅のホームでは、42歳の車掌に話しかけられても無視している。

「福知山線脱線事故(事故の日)」

精神的に動揺していたことが伺えるが、その背景には何があるのだろうか。

航空・鉄道事故調査委員会は、彼のこれまでの懲罰の件数について、「著しく多くはなかった」として、「運転適性及び運転技術について、本事故の要因となるような異常はなかった」と結論づけている。
しかし、著しく多くはなくても、少なくなかったのも事実で、優秀な社員ではなかった。

入社後、最初の勤務である駅時代に、3分間の遅刻をやっている。
遅刻だけは、鉄道マンとして絶対にやってはいけないことである。
世間的には、たった3分間の遅刻、と思われるかも知れないが、時間に大変厳しい世界なので、これは大きな汚点になったはずである。

余談だが、鉄道の現業では、仕事で大きな成果を生むようなことはないので、個人の評価も、どんなミスを犯してきたかで判断されがちである。
彼の普段の仕事ぶりは分からないが、この懲罰から、彼の社内の評価は想像できる。
接客態度、他の社員との関係、それらが仮に良好であったとしても、高い評価は得られていないはずである。

続く約3年半の車掌時代に、訓告1件、厳重注意1件の懲罰を受けている。

訓告は、各駅停車の停車駅通過である。

快速に車掌として乗務中、遅れが13分になり(原因は不明)、各駅停車扱いにするように運転通告券を受ける。
(「運転通告券」とは、駅員から乗務員に、指令の指示を伝達するもの。)
ただ、この運転通告券には、どの駅から各駅停車かが明記されていなかった。

鳳(快速停車)→津久野(快速通過)→上野芝(快速通過)

という駅の順で、鳳駅で運転通告券を受け取った。
運転通告券

ここに「上野芝駅」という単語があったため、津久野駅から各駅停車なのか、上野芝駅から各駅停車なのか迷ったらしい。
鳳駅の駅員に聞くと、津久野駅からだと言うので、なんとなく納得して発車。
しかし、運転士は津久野駅が近づいてもブレーキをかけないので、やはり上野芝駅から各駅停車かと思い、彼も(車掌用の)ブレーキを引かなかった。

指令の指示は、やはり津久野停車だった。それを運転士も彼も理解しなかったのだが、乗務員のミスとして二人が処罰を受ける。

この場合、乗務員としては、はっきりしない場合には指令に確認する必要があるが、彼はそれを行っていない。
同情の余地はあるが、やはり訓告相当である。

もう1件の厳重注意は、乗務中に立ったまま居眠り。
どうして発覚したかは不明だが、お客さまからの指摘でもあったのだろう。

乗務員としてあるまじき失態だが、現実としては乗務員の仮眠時間も短い場合が多いので、起こりえそうなミスでもある。

懲罰は少なくなく、模範的な社員ではない。ただ、この時点では、若いのでこれからの成長に期待したい、と思われるところでもある。
こうして、彼は無事に運転士になっている。

しかし、運転士になってからも懲罰が発生する。

運転士になったその年、片町線下狛駅で所定停止位置を100m行き過ぎた。
「他事に気を取られ」て、ブレーキが遅れたとのこと。平成16年6月8日。事故の1年弱前である。
これにより、列車は8分遅れになった。

今までの経歴で懲罰を重ねてきた上に、運転士になって早々、このミスを犯したのは大きい。
さらに、このミスには続きがある。

停止位置行き過ぎをした後、彼は「半笑いで京橋電車区に帰ってきて、すぐには指導のところに謝りに行かなかったので、上司の逆鱗に触れて酷く怒られ」たという。

懲罰としては訓告で、京橋電車区で「日勤教育」を13日間受けている。
かなり厳しく指導されたに違いない。

さすがにこの後は彼も落ち込み、同僚の運転士や彼女にも心配された。
ただ、ずっと落ち込み続けていたわけではなく、その後は通常に乗務している。

以上が、彼が起こしてきた懲罰である。
少なくはないが、それについて悩み続けているわけでもなく、精神状態としては平常だろう。
ただ、普段意識はしなくても、忘れたわけではない。これらの懲罰が深く心に影を落としていたに違いない。

事故の1週間前の4月19日(火)、彼は会社で定期個人面談を受ける。

そのとき彼は、1〜2年後は「指導操縦者」になることを希望し、その理由として「これからは続々と後輩達が増えてくると思うので、自分の経験等を活かして自分と同じ失敗をさせないようにしたいです」と述べている。

今まで犯してしまった数々のミス。やはり彼はそれを自覚していた。
それでも彼の将来の希望は、「特急列車に乗務したい」「新幹線の運転士」と、この定期個人面談で述べている。

定期個人面談で、今までのミスを振り返り、同時に将来を見つめたはずだ。
普段は、毎日毎日平常心で仕事に励んでいても、個人面談があれば、過去を振り返って未来について考えさせられる。

彼はこの面談で、今までの失敗を再認識し、希望通りのキャリアを歩めるのか、自分の将来に不安を感じたのではないだろうか。

「福知山線脱線事故(運転士の嘘)」に続く

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 09:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(運転士の嘘)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(運転士の不安)」から続く

この事故に対するマスコミの報道は、運転士個人に焦点を当てず、JR西日本の体質にクローズアップした。
懲罰的な「日勤教育」、私鉄との競争による無理なダイヤ。この会社には、安全を軽視する風土があった、という。

それでは、その象徴とも見なされた、「日勤教育」の実態はどのようなものだったのだろうか。
そして、この運転士は「日勤教育」でどのような影響を受けたのか。
事故調査報告書を見てみよう。

以前述べたように、彼は運転士になって早々、下狛駅で所定停車位置を100m行き過ぎるというミスを犯している。
福知山線脱線事故の1年弱前の、平成16年6月8日のこと。通勤時間帯の上り快速列車である。

「福知山線脱線事故(運転士の不安)」

しかし、なぜ100mも行き過ぎてしまったのか。

100mといえば車両5両分に相当する。
ブレーキ操作のミスといった技量によるものではない。明らかに異常である。

彼は、区所に戻る前に、京田辺駅で支社の人に事情を聞かれ、「ブレーキを弛めて行き過ぎた」と報告した。

だが、これは嘘だった。

ブレーキをかけていたのに途中で緩め、車両5両分も行き過ぎたというのは、誰が聞いても納得できない。稚拙な嘘である。

この嘘は、すぐに撤回している。
最初から嘘がばれ、助役などの心象も悪い。その状態で、区所で助役などから事情聴取を受ける。

「ウソは絶対つくな、再度嘘をついたら運転できないぞ」

「はい」

事情聴取は、脅し文句から始まる。
(会話文は、実際の事情聴取の文書から、そのまま抜粋してある。)

雰囲気としては、事情聴取というより取り調べである。

では、事情聴取する側は、どのような疑念を持っていたのか。

彼は、ブレーキをかけたのに途中で弛めてしまった、と嘘をついた。
ブレーキを途中で弛めた、というのはあまりにも不自然なので撤回した。
では、これが嘘だとすると、何のための嘘だったのか。
この嘘は、前半の「ブレーキをかけた」という嘘を取り繕うもの、つまり、彼は居眠りでもしていて、ブレーキをまったくかけなかったのではないか、と疑われたのである。

事情聴取では、時系列に沿って聞き取りが行われる。
助役らが、

「どのように通停確認したかやってみろ」

と詰問すると、彼は通停確認の動作をしながら

「下狛停車、4両」

と答える。通停確認は行った。ただ、「通停確認したあと、ボーっとなりました。」と言うのである。

通停確認を行った上で行き過ぎたのか、普段から行っていなかったのか。
ここは大きなポイントである。
会社としては、このような事故を防止するために、運転士に通停確認を行うように指導している。その指導を無視して事故を起こしたのか、忠実に行っていたのに事故を起こしてしまったのか。前者であれば、全面的に運転士の問題であり、このような運転士を乗務させることは、会社として許されない、ということになる。
管理者が常に監視しているわけでもないので、通停確認を行わなくても通常は何の問題もない。しかし、事故を起こしたときには、このような基本動作の有無が大きく問われる。

今回彼は、通停確認は行ったと言い通した。追求するにも、覆す証拠がない。
通停確認は行った。では、それでも100m行き過ぎたのはなぜか。

「意識ははっきりしていたのか、眠たかったとかはないのか」

「少しありましたが、窓を少し開けて目を覚まそうとしました」

事情聴取の後半で、はっきり言わないが、居眠りを認め始める。

原因は居眠り。残る疑念は、どの時点で居眠りになったのか。
彼が主張するようにブレーキをかけた後なのか、それとも、まったく意識がない状態で駅に進入し、車掌に非常ブレーキを引かれて止まったのか。
もしも後者であれば、通停確認を行ったというのも嘘になる。

「車掌に非常引かれて、我に返ってブレーキ採ったのと違うか?」

「そんなことありません」

「絶対に自分でブレーキ採ったんやな?」

「はい」

彼は、居眠りを半ば認めた。これを事情聴取の成果として、追求する側もここで手を弛める。
どこで居眠りを始めたかは、彼の言い分を認め、ブレーキをかけた後ということで決着する。

そして、事情聴取では、ブレーキ中にブレーキを緩めた、という最初の嘘について何度も厳しく叱責された。

「ブレーキノッチを緩めたとなったら精神鑑定されるぞ、もう乗りたくないのか?」

「すみませんでした」

「あれほどウソはつくなと言っただろう、社会人としても失格だ」

「はい」

最後に

「何故、一報でうそをついたのか?」

「隠したい気持ちがあったからです」

(中略)

「うそはいけない事は知っていたか」

「知っています。」

と、この事情聴取は、嘘をついたことに対する叱責で終わる。

彼がつく嘘。これは福知山線脱線事故でも、大きなポイントとなる。

嘘で自分のミスを取り繕うとする運転士は、彼ばかりではない。
運転士の場合、懲罰によっては、本線運転士から外され、車庫の入換運転士になったり、駅に転属させられたりする。それを恐れるので、懲罰が少なくなるように嘘をつく。

彼は、運転士になるまでも懲罰が少なくないし、運転士になって2週間で大きなミスをしており、模範的とは言いがたい。嘘をついたのもひどい。

ただ、嘘を認め、居眠りも半ば認めたのは、まだ素直なのかもしれない。
ひどい運転士であれば、
「ブレーキをかけたけど、効かなかった。車両がおかしかった。」
と、車両のせいにすることもある。

いづれにせよ彼は、これにより訓告処分を受け、13日間の「日勤教育」を受ける。

「福知山線の脱線事故(日勤教育)」に続く

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 08:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(日勤教育)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(運転士の嘘)」から続く

福知山線脱線事故の1年弱前、下狛駅での所定停止位置行き過ぎにより、彼は13日間の「日勤教育」を受けている。

「福知山線脱線事故(運転士の不安)」

「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」

これは、高校時代からの彼女が聞いた、彼の「日勤教育」に対する愚痴である。彼が一番落ち込んでいたのはこのときだったという。

また、高校からの友人は、

「『日勤教育』は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」

と、彼から聞いているし、別の友人も、

「作文のようなものを書かされた」「日勤教育は厳しい研修だ」

と彼の愚痴を聞いている。


彼が言っていたように、日勤教育の主体はレポートのようである。
では、どんなことを書かされていたのか。

この所定停止位置行き過ぎの事故では、13日間にわたる日勤教育となり、1日目には顛末書、反省文を書いている。

ここまではオーソドックスだろう。1日くらいは、事故を振り返り、自省してもらう必要がある。

そして、反省文を書かせた後は、1日目から5日目の間、同じようなテーマで、タイトルを変えて7回も書かせた。
(9日目にも同様のテーマで1本書いている)
そのテーマとは何か。

実はこの事故の8日前、同じ下狛駅近くで別の運転士が無断で退行運転を行い、運転士を下ろされているのだ。
この区所にしてみると、なぜ同じところで連続して事故が起きるのか、という苛立ちがある。

無断退行で注意喚起を受けているのに、なぜこれを活かせなかったのか。
このことを合計8回も書かせた。
さすがに、5日間も同じテーマでレポートを書き続けるのは辛いだろう。
ちなみに、その8本のレポートの題は

・無断退行の掲示と呼込み指導を受けてどう受け止めたか
・掲示と呼込み指導を受けたとき、事故を起こさないという気持ちがあったのに、何故行き過ぎとなったか
・今後の自山・他山の石の活用
・事故前日、当日の係長の注意喚起について
・今後、注意喚起を受けた後の捉え方
・何故、自分は大丈夫という気持ちになれるのか
・注意力をいっそう喚起されるには(※原文のまま)
・今回、重大事故(下狛無断後退)があった後、同じ箇所で事故を起こしたこと

管理者の苛立ちが表れているようだが、いくらなんでもしつこい。
懲罰的と批判されても仕方がないだろう。

京橋電車区の別の運転士は、以下のように供述する。

「日勤教育のレポートは、指導の係長等が欲しい言葉や言い回しが入っていないと何回も書き直すこととなるが、そのうちに指導の係長等がこう書いた方がよいとか、ここにこれを書き入れるとか教えてくれる。自分ではそう思っていないことでも、それを書かないと乗務させてもらえないと思って、そのように書くとOKとなり、ボールペンで清書してそのテーマは終わりとなる。」

自省を促すというよりも、指導担当の演出どうりに演じる役者のようになってしまっている。演出どおりになるまで、何度も同じようなことを書かせていたのだろう。
しかし、役者になってしまえば、教育効果は乏しい。

もちろん、日勤教育は必要である。事故を起こした乗務員に自省を促し、指導者が様子を観察する期間は必要である。
この運転士も、居眠りにより停止位置を100mも行き過ぎている。
運転士自身も、二度と起こさないように自省しなければならないし、指導者も、彼の勤務態度をしばらく観察し、生活の乱れや精神状況などを見守る必要がある。

しかし、この「日勤教育」はその本来の目的を逸脱し、何のために行っているのか分からない。

その他にも、10本のレポートを書いている。

・自分のうぬぼれについて
・自分の弱いところ、その克服
・自分が理想とする運転士像
・今後どのように変わるのか

と精神論的なものが4本あり、これも3〜4日間、書き続けている。
事故調査報告書も、「(日勤教育は)ほとんどが精神論的なものである」として、批判している。

もともと原因が居眠りであるため、技術的な再教育よりも、心がけが問われるのは仕方がない。
しかし、この日勤教育は、点呼を受ける運転士から見えるところで行っている。
さらにその点呼では、この事故の内容を各運転士に読み上げさせ、「あなたならどうしますか?」という注意喚起まで行っている。
明らかにさらし者である。精神論的な教育でも、受講者は前向きに取り組めないだろう。

懲罰的な教育が、安全上も悪い風土を生んだ。
これが、事故調査報告書が暗に示している事故の背景の一つである。

この日勤教育のレポートにもあるように、起きてしまった事故は、それを社内で自らの戒めとして捉え、再発防止に取り組まなければならない。
しかし、懲罰的な教育で社員を萎縮させれば、会社の風通しが悪くなり、事故も活かされない。

嘘は絶対に言うな、とは教育しているが、逆に嘘をつかせる土壌を生んでいる。
人事的な懲罰だけでなく、精神的に追い詰める懲罰が待っているのであれば、ミスは余計に隠したくなる。

「福知山線脱線事故(運転士の嘘)」

これが、事故を起こしたJR西日本の実態だった。


カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(宝塚駅)」に続く



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 10:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(宝塚駅発車)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(日勤教育)」から続く


平成17年4月25日月曜日、宝塚発(定刻9時03分)、同志社前行き上り快速列車(5418M)。
これが、脱線事故の列車である。

宝塚駅に下り回送列車(回4469M)として到着し、折り返しの始発となる列車だ。

脱線事故の予兆は、この宝塚駅から始まる。

宝塚駅では、下り列車は1番線に到着するのだが、下り列車が折り返す場合、ポイントを渡って2番線に到着する。
1番線に入る場合の制限速度は65kmだが、2番線の場合の制限速度は40km。
この回4469Mも折り返しなので、制限速度は40kmである。

(宝塚駅の路線図)

しかし、この運転士は到着番線を勘違いしたのか、2番線の到着にも関わらず、65km近くで駅に進入してしまう。

(以下、「鉄道の裏面史」をご覧ください。)

カテゴリ:「福知山線脱線事故」



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 09:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(伊丹駅オーバーラン)


カテゴリ:「福知山線脱線事故」

「福知山線脱線事故(宝塚駅発車)」
から続く


事故を起こした運転士は、回送列車を宝塚駅に到着させる際、着番線を勘違いし、制限速度40kmのところを65kmで進入してしまう。
このミスに動揺した彼は、ATSの「確認扱い」ができなくなり、車両は非常ブレーキで途中停車してしまう。また、彼はこのミスを指令に報告せず、ATSを無断で解除する。
それだけではない。所定停止位置付近では、ATSの「誤出発防止機能」で非常ブレーキがかかる。
1つのミスが連鎖してしまい、異常な運転になってしまった。

ミスが会社に知れると、「日勤教育」で職場の見せしめになり、下手をすれば運転士から外されかねない。
そんな恐れを抱いた彼は、車掌が指令に報告するかどうか、気にしていた。

(以下、「鉄道の裏面史」をご覧ください。)



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 16:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(猪名寺駅通過)

前回までのあらすじ)
福知山線の脱線・転覆事故は、ハンドルを握って1年弱の、23歳の運転士によって引き起こされた。
彼は、入社してから懲罰をいくつか受け、模範的な社員ではなかったが、異常というほどでもなかった。事故の日(平成17年4月25日)も、放出派出〜松井山手〜宝塚と、2時間ほど異常のない運転を行っている。

しかし、宝塚駅から彼の運転がおかしくなる。
誤って速度オーバーで宝塚駅に進入すると、動揺して所定の動作が行えなくなり、ATSの非常ブレーキで途中停車する。さらに彼は、そのミスを指令に連絡せず、ATSの非常ブレーキを勝手に解除する。また、車掌が指令にミスを報告しないかどうか、神経を尖らせる。

彼は、折り返しの快速列車を発車させるが、この列車は朝のラッシュで遅れ始めてしまう。遅れを回復させようと速度を最大まで上げるが、伊丹駅手前で2度目の大きなミスを犯す。宝塚駅でのミスがフラッシュバックし、ブレーキタイミングを逸してしまい、伊丹駅を72m行き過ぎて停車。退行運転を行って、遅れは1分8秒に拡大。ミスにミスが重なってしまった・・・。


【猪名寺駅通過】

(以下、「鉄道の裏面史」をご覧ください。)



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 09:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福知山線脱線事故(そして転覆・脱線)

前回までのあらすじ)
平成17年4月25日、宝塚発、同志社前行きの快速5418Mは、塚口〜尼崎間で脱線・転覆し、大変な数の死傷者を出した。これが福知山線の脱線事故である。

この事故を起こしたのは、23歳の若い運転士。彼は、回送電車を宝塚駅に到着させる際、誤って速度オーバーで進入し、動揺して、ATSの非常ブレーキで列車を途中停車させてしまう。
これが、彼が犯す最初のミスである。

事故列車(快速5418M)の乗務では、宝塚駅のミスが頭から離れず、ブレーキタイミングを逸し、伊丹駅を72mも行き過ぎてしまう。ダイヤも1分以上遅らせてしまった。
これが2回目のミス。

ミスを重ねた彼だが、冷静さを取り戻さない。ミスの連鎖を止めようとせず、その隠蔽ばかりに神経を尖らせる。
車内電話で車掌を呼び出し、伊丹駅の72m行き過ぎを、実際よりも距離を短く申告するように頼み込む。しかし、車掌に通話を途中で切られ、頼みを了解してくれたかどうか分からない。
車掌は、オーバランのお詫びの車内放送をした後、指令を呼び出して遅れを報告し始めた。
ちょうど最高速度の120km/hに達したこともあり、彼はハンドルから手を離すと、右手の手袋を脱ぎ捨てて、急いで赤鉛筆を取り出した。車掌と指令の通話を記録しようというのである。


【福知山線脱線事故(そして転覆・脱線)】

「こちら指令どうぞ。」

「5418Mの車掌です。どうぞ。」

「5418M車掌、内容どうぞ。」

いよいよ車掌が、自分の運転ミスを報告し始める。彼の運命は、この報告次第で大きく変わる。

今回のミスは、日勤教育になるのは仕方がないとしても、最悪の場合、処罰によって運転士から外されるかもしれない。

それは、本当に最悪だ。現場採用社員は、駅員、車掌、運転士と歩むのが既定のキャリアパスで、彼も、同期の仲間と一緒にこの階段を上ってきた。それにまだ、運転士になって1年しか経っていない。
もし運転士から外されると、同期の中で一人だけ落伍者になってしまう。同期だけではない。後輩もこれから続々と運転士になるのだ。

(以下、「鉄道の裏面史」をご覧ください。)



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 08:21 | Comment(6) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボツになった出版企画「そのとき鉄道マンはどう判断したか?」

3年間温めて、数か月かけて書き上げた出版企画が、ボツになりました。

今回の企画は、福知山線脱線事故、信楽高原鐡道事故、地下鉄サリン事件の3つを取り上げたものでした。

奇しくも、福知山線脱線事故から8年目の25日に、最初の出版社から、企画会議でボツになったと連絡があり、そして今日、大手出版社から、

「一般読者が気軽に読むものではないため、結果は思わしくないのではないか」

という趣旨で、企画会議に上がることもなく、断られてしまいました。


(この企画、鉄道事故という「失敗」を主題にしたものですから、出版の「失敗」についても開陳しましょう。)


福知山線脱線事故は、9時18分に発生しており、朝の遅い大学生や、USJに遠足に行く高校生など、10代後半の人が多数亡くなった、大変痛ましい事故です。
(遺族の手記なども読みましたが、本当に胸が痛みます。)

この事故は、背景に会社の体質があったとしても、直接的には23歳の運転士が起こしたものでした。

制限速度70qのカーブを116kmで突っ込んで脱線転覆。車両は線路脇のマンションに激突しました。

彼はブレーキをかけなかったのです。なぜ、ブレーキをかけなかったのか・・・。

ある被害者は、

「運転士の自殺につき合わされたのではないか」

と、突きつけました。

無理もないことです。それくらい、あの急カーブでブレーキをかけなかったのは異常なことです。


彼には、交際している彼女もいました。友人も多く、スポーツ好きで明るい性格でした。自殺の兆候はありませんでした。


(「鉄道業界の舞台裏」でも書きましたし、ネタ晴らしをしましょう。)


彼はなぜブレーキをかけなかったか。

それは、その直前に起こした自分のミスに原因があります。彼は、ミスを隠ぺいしようとして、運転に意識がいっていなかったのです。

彼の運転ミスについて、車掌と指令が列車無線を始めました。
彼は、それを必死にメモしようとしたのです。
自分の犯したミスが、ありものまま報告されるのか、過少報告されるのか、神経をとがらせていたのです。

そして、目前に迫るカーブを見落としました。

これは私の推論ではありません。「航空・鉄道事故調査委員会」が明らかにした事故原因です。

彼の遺体は、左手だけ手袋をしていて、右手は手袋をしていませんでした。また、そばには乗務員用の特殊な赤鉛筆が転がっていました。

彼は、右手の手袋を外し、赤鉛筆を持ち、メモを取ろうとして事故を起こしたのです。

彼は、死にたくはなかったし、106名の命を奪うつもりもなかった。

宝塚駅で小さなミスを犯し、動転して伊丹駅で大きなミスを犯す。追い詰められた23歳の運転士は、ミスを隠ぺいしようとした。
そして、尼崎駅の手前で大事故を起こして亡くなってしまう。

この運転士を批判することも、JR西日本を批判することもできます。

だけど、もし私たちが同じような状況に陥った時に、冷静に対処できるか、事故は起こさないか。

私たちが電車を運転することはありません。しかし、同じような問いかけが、私たちの生活・人生の中でもできるのではないか。

人は、ミスを重ねると冷静さを失います。ミスがミスを呼びます。誰の身にも、大きな落とし穴はあるのです。

謙虚にそのことを受け止めて、「どうしたら大惨事を防げるか」を、この運転士の「失敗」を追体験して、我々一人一人が教訓化すべきだと思いました。

そんな思いで、3年間、この企画を温めました。

内容が重く、また鉄道事故は多くないので、1本の企画にするのに苦労しました。

類書も乏しく、そのうえ売れているものはなさそうなので、サンプル原稿をしっかり書きました。(実に、全体の40%も書いてしまいました。)

やはり悔しいですね・・・、損得ではなく、ただ書きたかった・・・、世に問いたかった・・・。

でも、出版もビジネスです。マーケットの広いところを狙わないといけません。

一般の人が手に取る本でないとダメなのです。
専門書を扱う出版社もありますが、そういうところは学者が書きます。

福知山線脱線事故は8年前の事故です。
風化させてはいけないものですが、現実には風化しています。

死中に活路を見出すべく、ベストセラー「失敗の本質」に絡めた企画書にしてみましたが、無理でしたね。


福知山線脱線事故、信楽高原鐡道事故、地下鉄サリン事件。だいぶ参考図書を読み込んで詳しくなりました。何度か取材で現場にも行きました。

出版は叶いませんでしたが、これは、どこかで世に問いたいと思います。

何より、私自身、これらの事故・事件から学ばせていただきました。
鉄道ライターとしても、これらの事故・事件は知っておかなければなりません。

出版は「失敗」したものの、無駄ではない、良い勉強でした!!

(2013年4月28日)

おかげさまで、この出版企画は形を変えて書籍になりました。



福知山線脱線事故については「鉄道の裏面史」で書籍化されました


2015年5月新刊
鉄道の裏面史

「鉄道業界のウラ話」
文庫本

単行本

文庫本

posted by 鉄道業界舞台裏の目撃者 at 22:48 | Comment(4) | TrackBack(0) | 福知山線脱線事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする