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前回からの続き)
平成3年5月14日、信楽高原鐡道(貴生川〜信楽)で大事故が発生した。
列車が正面衝突して、42名の人が死亡したのである。
このとき信楽では「世界陶芸祭」という博覧会が開催されていて、鉄道も混雑していた。
信楽高原鐡道(SKR)は、国鉄から切り離された第3セクターで、存続が危ぶまれ続けたローカル線だが、この1か月間だけは乗客の大量輸送を担っていたのだ。
SKRは、このイベントに向けて輸送力を大幅に増強した。
単線のこの路線は、1編成が往復し続けるだけの単純な運行だったが、中間に「小野谷信号場」を新設して、列車が行き違えるようにしたのである。
これにより、同時に2編成が運行できるようになった。
信号設備も変わった。それまで中間に信号機はなかったが、当然ながら小野谷信号場には信号機が必要だ。
信号工事は、SKRの路線ではあるが、JR西日本とSKRが関わる。始点の貴生川駅の業務はJR西日本に委託されており、貴生川駅の出発信号機の扱いもJR西日本が行うのだ。
そのため、貴生川駅から小野谷信号場の間の信号工事は、SKRがJR西日本に委託する形で行われた。しかし、この両社の連携が悪く、ある条件が重なると信楽駅の出発信号機が青にならないという、信号回路の矛盾が生じてしまう。
これが事故の背景だ。
一方、事故に関与する人物として、今まで2名の鉄道マンを取り上げてきた。
一人は、事故で殉職するN業務課長で、もう一人は、事故の際に信楽駅長・運転主任を担当した「彼」だ。
N業務課長は国鉄出身で、「世界陶芸祭」に向けたプロジェクトを仕切っていた人物である。
自負が強く、独断専行の人だが、人物としては業務課長の要職を担うほどではない。
安全に対する意識が低く、SKRとJR西日本がすでに別会社であるという意識も薄い。ベテランの鉄道マンだが、後述の代用閉そくの処置方法もわかっていない。
彼が業務課長だったところに、この会社の人材不足が見て取れる。
もう一人の「彼」は、近江鉄道の運転士を24年も務めてきた人で、管理部門の経験の少ない現場の人である。
地元の穏やかな人だったが、N業務課長の指示にも翻弄されて、後の刑事裁判で有罪判決を受ける。
実は、この大事故には予兆があった。11日前の5月3日のことである。
それも、大事故と同じ時間、同じ列車で、同じトラブルが発生する。
5月3日の10:14信楽発の普通電車534D。このとき信楽駅長・運転主任だったK(事故の日の「彼」とは別人物である)は、列車を信楽から出発させるため、制御盤を操作して出発信号機を青にしようした。
ところが、この出発信号機が切り替わらない。
「えらいこっちゃ、信号が出ん」
Kは、信楽駅長・運転主任を務めるようになってから日が浅い。
そのうえ、この534Dと小野谷信号場で行き違うのは、JR線からの直通列車(快速501D)である。この列車には、「世界陶芸祭」に向かう乗客がまさにすし詰め状態で乗っていた。
快速501Dが貴生川駅で足止めになれば、すし詰めのお客さんの足が奪われてしまうのだ。
Kは、なんとか出発信号機を青にしようと焦る。そして、たまたまホームにいたN業務課長を見つけて相談した。
ただ、そもそも運転主任はKであり、ここは本来はKが判断すれば良いことである。
信楽駅の出発信号機が青にならない場合、中間の小野谷信号場と信楽駅の間で、代用閉そくの処置をしなければならない。
これは、信号が動作しないので、信号の代わりに人間系で安全を確保するものである。
SKRが定めた手続きに沿って、大まかに説明しよう。
・普段は無人の小野谷信号場に駅長役を派遣する
・区間内(この場合、小野谷信号場〜信楽駅)に列車がいないことを確認する
・両端の駅長が連絡を取り合い、出発駅の駅長が「運転通告券」を運転士・車掌に発行する
・両端の駅長の打ち合わせにより、一人の「指導者」を選任し、運転士はその「指導者」を乗せる
・出発駅の駅長が、手信号で出発を合図する
となる。
信号機故障がすぐに復旧しない場合、迅速にこの手続きを進めなければならない。
手間のかかる手続きのため、大幅なダイヤ乱れは避けられないが、安全を確保するためには仕方がない。
出発信号機の故障を聞いたN業務課長は、Kに
「ポイントはよいか」
と尋ねた。
制御盤を操作してポイントと信号を切り替えるのだが、ポイントが切り替わらなければ信号も切り替わらない。まず、ポイントの故障なのか、信号の故障なのかを確認する。
N業務課長は、故障の状況を知るために正しい判断をしたのである。
この点はKも確認ずみで、「ポイントは問題なく、信号だけが青にならない」と、N業務課長に回答した。ポイント故障ではなく、信号機故障である。
「それやったら、はよ列車をだせ」
とKにきつく指示した。
信号は赤だが、そのまま列車を出してしまえというのだ。
代用閉そくの処置もせずに赤信号で列車を出すなど、ありえない指示である。
独断専行の厳しい上司(N業務課長)から、人命を危険にさらす誤った指示を受けたK。
経験の浅いが、この判断は運転主任であるKの職責の範囲で、K自身が相談を持ちかけたといっても、N業務課長が指示するのは越権でもあった。
人命の危険と独断専行の上司の指示に挟まれたKは、この状況にどう判断したのだろうか。
(
続く)